ベートーヴェン先生の好みというものは後に多くの学者たちによって統計されていますが、例えばハ短調という調性に大きな魅力を感じていらっしゃいましたね。この調で書かれた作品には名曲と呼ばれる傑作が多いです。ピアノソナタ集の冒頭部分のみを並べて見ていくとある事に気付きます。ほとんどのソナタの主題が p (弱音)で始まりますが、ハ短調で書かれた作品はいずれも冒頭に劇的な強さがあります。これは意図的なものですか?それとも感性に従ったまでの事なのでしょうか?また初期の作品から晩年に至るまで、所謂運命のモチーフと呼ばれる特徴的な音形や、幻想曲風ソナタOp.27-2やバイオリンソナタ第9番(通称クロイツェル)Op.47 などに見られる偏執的とまで思える主音と属音(ハ長調で言えばドとソ)への拘りは単なる先生の好みだったのでしょうか?それともそこに何か隠されたメッセージが込められているのでしょうか?
先生の音楽の生みの苦しみは痛いほどよくわかります。生意気を申しますと、先生は決して器用な方ではなかったように見受けられます。メロディーを作曲するのに悩み、推敲を重ねた形跡があちこちに見られます。しかし様式美というものは類をみないほどに完成されております。もしかして、モチーフへの拘りはその不器用さ故ではなかったでしょうか?単純な音階や分散和音に音楽としての息を吹き込む手腕はやはり天才的と言わざるを得ません。
その才能ゆえの、真意を計りかねる強弱やアーティキュレーション、スラーなどの指示に、後世のピアニストたちは非常に悩ませられております。これらは全て、自分の感情を如何に楽譜に書き記せば理解してもらえるだろうか、と考え抜いた末に導き出された書法だとは思いますが、どのように演奏してもらうことを期待なさったのでしょうか?
強弱記号についてお伺いさせてください。p からクレッシェンドをしてまた直後に p に戻る、というのは先生が多用した書法の特徴ではありますが、それは何を意味しているのでしょうか?やはり大方の解釈通り、弱音から音量を増やし突然弱くする、というのが正しいのでしょうか?私にはそれが非常に不自然に感じられます。イタリア語の"forte"が元来音量の強さのみを示す言葉ではなく、また"piano"も音量の弱さを示すものではない、というところから推察してみました。"forte"とは何らかの大きな力量を意味し、"piano"が落ち着きを表す言葉であることから、"crescendo"(次第に増して)も音量のみを示すおつもりではなかったのではないですか?「p cresc. p」とは「精神的な、或いはエネルギーの落ち着きから次第に感情やエネルギーを増していくが、しかしまた元に戻る」という解釈が一番しっくり来るように感じております。また先生が f や ff、p や pp に込めたものは単なる音量ではなく、感情の強さの変化だと解釈すれば、sf (スフォルツァンド)も単に強いアクセントではなく、そこに存在する何らかの表情の強さとして理解できますがいかがでしょうか?
また先生は言葉による"crescendo"と"decrescendo"の他に記号によるものも混ぜていらっしゃいます。明らかに別の意味を持たせていらっしゃいますね?私はこれをテンポが揺れ動く方向と捉えました。これは先生を敬愛するショパンさんが同じように用いていらっしゃいますし、その後の作曲家たちが皆同調されたように思います。ブラームスさんに至っては「そこでテンポをゆらせばいいんだ」とはっきり仰ったそうですから。それからもう一つ、初期の楽器のための"decrescendo"と"diminuendo"の使い分けも見事としか言えません。
重ねて質問です。近年になりようやくベートーヴェン先生が拘ったアーティキュレーション記号が、楽譜に反映されるようになって参りました。自筆、初版では少なくとも3種類、もしくはそれ以上のスタッカート記号の書き分けがありましたのに、どういうわけか後の出版社によりただの点に統一されてしまってから相当な年月になります。これらを私は如何にして音に表現するか悩みました。故児島新先生が念入りに研究し、「それぞれに違った長さを設定した」と結論なさいましたが、実は私はそれ以上に意味があると思っております。これらは音の長さのみならず、方向性や音色の選び方を意味しているのではないかと思うのです。