2006年7月発売開始。 使用ピアノ、ニューヨーク・スタインウェイD、1989年製 新川文化会館大ホール(富山県魚津市)
鬱病持ちで内向的なラフマニノフ、皮肉屋で反骨精神旺盛なプロコフィエフ、士官学校卒の没落貴族、不器用で、しかも酒浸りのムソルグスキー。彼らの作品を演奏するために私がピアノに望んだのは、ただ単に甘く品良く、美しくまろやかなだけの音ではない。美しさの中にもっと強く厳しく苦悩と悲しみを、時には暴力的な荒々しさを、そして同時におおらかに包み込むような優しさと雄大さが表現できる楽器でなければならなかった。
1989年製のニューヨーク・スタインウェイとそれを調整する高木裕氏は私の要望にしっかり応えてくださり、そしてその音はささやくような最弱音から大轟音まで新川文化会館大ホールの隅々まで伸びて行く。それを天才的ひらめきで録音していくエンジニアの岡田則夫氏、そしてディレクター、編集者、全員の力が結集してこのCDは完成した。
大きなスピーカーの前でこのCDを聴いてみて欲しい。やがて目の前にロシアの壮大な世界が広がり、CDが終わる頃にはいつの間にかポツンと一人取り残された自分が見える。作曲家たちはいつもそのような自分の世界を見つめてきた。貴方もきっと・・・・・・・
江口 玲 |
セルゲイ・ラフマニノフ(1834-1943) 前奏曲というタイトルがいったいなにを意味するのか疑問ではあるのだが、これらの作品は彼の持つ魅力の一部始終を凝縮して見せてくれる。2メートルを越す身長と巨大な手、幅の広い指先、ラフマニノフのこの肉体的条件なしに彼のピアノ曲はあり得ない。ラフマニノフの魅力はなんといってもロマンティックな和声と叙情性、壮大なる和音にあるのだが、どちらかというと旋律を作るのはあまり得意ではなかった。メロディー作りの達人、チャイコフスキーがその旋律において一度聴くと耳に残りやすい親しみがあるのに比べ、ラフマニノフのそれは彼の独特の半音階的和声の裏付けなしには、とらえがたい部分が多々ある。その半音階的和声を作り出すのがピアノの鍵盤上にある彼の巨大な手であった。とかくチャイコフスキーの亜流と解釈、批評されがちだったラフマニノフであるが、ピアニストとしての彼の能力は常に尊敬されるものであったらしい。すなわちチャイコフスキーにはない魅力はピアノ曲において最大限に引き出され、まさに自曲を演奏するときの彼は他の追随を全く許さなかった。
セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)
セルゲイ・プロコフィエフは当時のロシアを代表する前衛作曲家であった。音楽をも操作する独裁政治体制のもと、ロシア的であることを目指そうとしたショスタコーヴィッチに言わせると、プロコフィエフは「野蛮で荒々しく、ものごとの価値判断は面白いか、面白くないか」でしかなかったらしい。彼の「野蛮で面白い」魅力はこれらの小品にもそのまま表現されており、ショスタコーヴィッチの苛立が目に浮かぶようである。両曲とも原曲はオーケストラのために書かれている。
セルゲイ・ラフマニノフ(1834-1943)
ピアノ的と言うよりはむしろ弦楽オーケストラ的発想で書かれている。単調なモチーフが際限なく繰り返される様は、あたかも行き場の無い悲哀を表すようである。高まる感情は幾度となく途中で遮られ、ついには高みより崩れ落ちてしまう。
セルゲイ・ラフマニノフ/江口編
「パガニーニの主題による狂詩曲」はパガニーニの有名なバイオリンのためのキャプリス第24番をテーマにした、ピアノ協奏曲の形態の作品である。その中の第18変奏をピアノソロ用に編曲した。こんなにすばらしい曲がオーケストラと一緒でなければ演奏できない、という私自身の悩みを解決したつもりである。
組曲「展覧会の絵」
モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)/ヴラディミール・ホロヴィッツ(1903-1989)編
モデスト・ムソルグスキーが、友人の画家ガルトマンの遺作展覧会に出典されたデッサンからインスピレーションを受けて、ごく短期間のうちに作曲したものである。実際には題材となった絵は、大変かわいらしい小さなデッサンであったが、ムソルグスキーはそのイメージを遥かに超えた、巨大な音の絵画に仕上げている。親友の突然の死をきっかけにこの士官学校卒の荒削りな作曲家の心を揺さぶったものは、当時の近隣諸国を巻き込んだ政治的混乱、ユダヤ人への迫害等であったと言われている。
ロシア出身のピアノの巨匠、ヴラディミール・ホロヴィッツによる編曲では、その写実性がより重点的、効果的に表現されている。なお、林川崇氏、Christian Jensen氏の採譜によるものを参考、使用させていただいた。この場で両氏に深く感謝いたします。
プロムナード: 生まれ故郷カレヴォの民謡から題材を得たテーマは、展覧会に来た作曲家自身が歩く様子だと言われている。通路を歩いて行くと突然出現した絵は・・・
地の精: グロテスクで妖怪のような地の精。暗闇の中で突然走り出したり、飛び跳ねたり。物陰から不気味にあたりの様子をうかがっていたかと思うと、突然甲高い声とともに走り去ってしまう。
プロムナード〜古城: 気を取り直して次の絵に向かうムソルグスキー。月明かりのもとでリュートを爪弾く吟遊詩人の哀しい歌声が、丘の上の荒廃した古城から静かに人々の耳に聴こえてくる。遠く・・近く・・風の趣くまま・・・
プロムナード〜チュイルリーの庭(子どもの遊びのあとの喧嘩): パリのチュイルリー公園で子供たちが遊んでいる様子。走って転ぶ子供、大人ぶるおしゃまな女の子、ちょっとした喧嘩。
ビィドロ: ポーランド、サンドミール地方の牛車が足取りも重くぬかるみだらけの道を行く。苦しそうな音をたて、きしみながら進む牛車は、農夫の歌声とともに次第に遠ざかって行く。
プロムナード〜卵の殻をつけたヒヨコの踊り: 舞踊劇「トリルビー」の舞台衣装用のデッサンからのかわいらしい小品。
サミュエル・ゴールドベルグとシュミイレ: 二人のユダヤ人。裕福ででっぷりとしたサミュエル・ゴールドベルグが諭すように話している。まずしく貧相なシュミイレは揉み手で金の無心でもしているのだろうか?聞く耳を持たない相手に、卑屈にも脅すような態度に出るとゴールドベルグの逆鱗に触れる。必死に言い訳をするシュミイレと威圧的なゴールドベルグ。最後はゴールドベルグの一喝で終わる。
リモージュの市場(重大なニュース): 原曲ではこの曲の前にプロムナードが置かれているが、ホロヴィッツ版では省略されている。フランスのリモージュの市場のにぎわいと早口のおしゃべり、口論する農婦たち、青空のもとの健康的な喧噪。
カタコンブ(ローマ時代の地下墓地)〜死者と共に死者の言葉で: 一転して地底の死の闇へと引き込まれる。ろうそくの薄明かりのなかに浮かび上がる無数の骸骨。「亡くなったガルトマンの創造精神が私を頭蓋骨へと導いている。やがて頭蓋骨は静かに輝きはじめる…」(ムソルグスキー)
鶏の脚の上に立つ家 (バーバ ヤーガ): ロシア民話に出てくる魔女。人骨の柵に囲まれた、鶏の足の上に建つ家に住み、ほうきを持って甲高い笑い声をたてながら空を飛ぶ。小屋の中では、火にかけられた得体の知れないスープがふつふつと・・・・
騎士たちの門 (古代の首都、キエフにて): 11世紀に建築されたロシア民族の誇りを示す「黄金の門」。大門をくぐって戦場へと出かけて行った勇敢な戦士たちの追憶と、鳴り響く鐘の音。荒廃したこの門の再建に応募したガルトマンの作品は、大好評だったにも関わらず、再建が実現することはなかった。幻の大門、偉大なるロシアへの讃歌である。
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