〜〜 エピソード <ブラインド・トム その後> 〜〜  


 南北戦争終了により解放されたはずのトムは、障害者に必要な保護をすると言う名目で、相変わらずベスューン家によって管理されていた。 トムを管理していたジェームズ・ベスューン将軍の息子、ジョン・ベスューンは事故で亡くなったが、彼の遺言によりトムは再びベスューン将軍の元に送りかえされた。 しかしジョンの未亡人エリザは、トムが年老いた母親のシャリティと共に暮らせるよう裁判をおこし、1887年、奴隷解放宣言から25年の経過後、ようやくトムは自由の身となった。 それまでトムに与えられていたのはピアノのある小さな部屋と食事、わずかな現金のみ、それでもトムは何の疑問も持たず、幸せだったようだ。 むしろこの裁判で「弁護士」という人種に対して、かなりの恐怖感をいだいたようである。

 かくしてベスューン家がトムの演奏から得た収入は約75万ドル (現在の価値として約5億円) 、しかし彼がニューヨークの母親の元に旅立った時の所有物は、銀のフルート一本と身の回りの衣服のみであった。
 その後は「解放された最後の奴隷」と呼ばれ、父親の名前を使ってトーマス・グリーン=ウィギンスとして演奏活動を続け、1908年に心臓発作で亡くなった。

 
ベスューン将軍とブラインド・トム






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