1887年、ニューヨークのスタインウェイ社ですばらしい楽器が作られた。「ローズウッド」と呼ばれるこのピアノは、1891年にカーネギーホールがオープンした際にステージの上に貸し出されていた。数十年に渡りコンサートステージで活躍したそのピアノは、やがて日本に運ばれ東京のホテルに置かれることとなった。1986年に来日したホロヴィッツがそのピアノを非常に気に入って弾き続けたという、まさに銘器である。ホロヴィッツは専属調律師のフランツ・モアに「私がカーネギーホールでデビューした時に弾いたピアノがどうしてここにあるんだ?」と尋ねたと言う。通常の楓の木で作られた黒い楽器ではなく、美しいローズウッドの木目のフルコンサートグランドは、一度見たら忘れられないほどの気品を漂わせている。
私は今回の録音はどうしてもその楽器で行いたいと思った。
なぜならば、これらの曲が作られ、演奏された時代をこの楽器はしっかり見て来たのだ。
そして、皆様にはもう一度前ページをご覧頂きたい。
この楽器が作られた1887年とは、奴隷のピアニスト、ブラインド・トムが自由を勝ち得た年でもあるのだ。
「時の流れ」はそれほど遠い昔の話ではない。
1955年12月、アラバマ州モンゴメリーで一人の黒人女性が逮捕された。
ローザ・パークスである。
当時白人と有色人種は学校も別であったし、レストラン、映画館、バス、電車等、公共の何処においても「区別」され、同席することはなかった。それぞれに専用席があり、出入り口がはっきりとわけられていた場所もあった。
仕事帰りのバスの中で、後方に指定されていた有色人種用の席に座ったローザは、白人専用席が足りなくなったために座席を空けわたすよう、運転手から命令された。それを拒否した彼女は逮捕され、周辺黒人達のバスのボイコット運動に発展した。釈放後、彼女は公民権運動の先駆者の一人として行動した。
その「区別」がついに破られたのは、人種差別に積極的に立ち上がったジョン・F. ケネディ大統領が提案した、アメリカにおける全ての人種、男女の権利が同等に保証されるための法律の制定によってであった。有色人種が白人と同等の人間であることがついに認められたのである。しかしケネディ大統領はその公民権法の成立を見届けることことなく、法案提出の直後1963年に暗殺された。
そして、その1963年に、私は生まれた。
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