〜〜 エピソード <黒人霊歌  Negro Spirituals> 〜〜  


 スティーヴン・フォスター(Stephen C. Foster, 1826-1864)が作曲した多数の「ミンストレル(Minstrel)」、(白人が顔を黒く塗って、黒人を演じる喜劇のための音楽) は、奴隷達によって歌われていたメロディーを参考にしたものも多いと言われている。 しかし行動範囲の限られた奴隷達のメロディーが、広範囲にわたって同様に歌われていたとは考えにくい。 それぞれの街、農場ごとに存在するメロディーや、あるいは歌詞に何らかの共通点はあったであろうから、フォスターの旋律は非常に貴重な記録でもある。 もしかしたらフォスターの旋律に黒人霊歌の原型があるのではないかとも思ったが、残念ながら確認はできない。

 ところで黒人霊歌の歴史は意外と短く、1830年代になってから発生したとされる。 奴隷たちの信仰はアフリカ言語の消失(使用の禁止)とともに、アフリカ土着の宗教からキリスト教へとシフトしていくが、ブッシュ・ミーティング(Bush Meeting)と言われる奴隷達の屋外宗教的集まりの場で、彼ら独自の歌を歌ったところがメロディーの起源ともされる。
 やがて「教え」が白人主体の解釈であり、その矛盾に気付くことにもなり、「神からの啓示を受けた奴隷、ナット・ターナー(Nat Turner, 1800-1831)の反乱」の後に、次第に聖書の物語に二重の意味を含ませた歌詞による歌が歌われるようになった。
 しかしながら口承されるメロディーは定着せず、その精神(Spirits)のみを保持しながら常に変化しつつ広まって行った。 黒人霊歌は1865年以降、解放された奴隷達から次第に遠ざかって行く。 過去の忌まわしい記憶を忘れるためであり、また、自由を手に入れた黒人達にとって既に必要のないものになったのだ。
 やがて、これらの美しくも悲しいメロディーは集められ、楽譜に保存されることになったが、厳密な意味で本来の黒人霊歌は消滅したと考えられている。

 クラシック音楽では音階の第三音が長調、短調を決定するのだが、ブルー・ノート(Blue Note)と言われるジャズ特有の音階では、この第三音が長調と短調との中間音程が使われ、またクラシックで導音と呼ばれる第七音はやや低めに使われる。 これらの特徴は黒人霊歌にも見られるというが、記譜が不可能なため、楽譜からそれを確かめることはできない。
 しかしヘンリー・バーリー (Henry Thacker Burleigh, 1866-1949、黒人のバリトン歌手、作曲家) 編集の「ヨルダンの河のほとりに立っていた (I stood on de Ribber ob Jerdon)」には、その片鱗が垣間見られる。メロディーに上下に揺れ動く第三音が記されている。 この楽譜が出版されたのが1918年であることを考えると、これが歌の原型かどうか判断ができないが、黒人霊歌の中には他にも第三音を中間音で取ることができそうなメロディーはいくつも存在するので、これらがおそらくブルース、そしてジャズの発生に影響を与えたのであろう。






表紙に戻る  次のページ→