一度は黒人達から疎まれた黒人霊歌であるが、1900年代になると再び歌われ始めた。
自由を喜び、過去から脱出したはずであったが、すぐに現実を知ることになる。解放から何年、何十年、あるいは今現在に至っても、延々と続く「負の連鎖」である。
自由であっても差別は残った。教育を受けることが許されなかった時代に育った元奴隷達がつける職業は限られており、生活に追われる彼らの子どもたちもまた、教育よりも労働を選ばざるを得ない。
一度は自由の地に働き先を探しに出た黒人達は、成功した者もしなかった者も、やがて南部に戻ってくることが多かった.
労働者として農場に戻ったものも少なくはなかった。南部の出身というだけで、北部の人間からその奴隷訛りをばかにされることも多かったのだ。
そして、ミュージシャンになることもまた、彼らの選択肢の一つであった。
左上より、(1874年出版)C.A. ホワイト(C.A. White, 1832-1892)作曲
「ディキシーに戻るところだ。(I'se gwine back to Dixie)」
南部黒人訛りのこの歌は1900年代初頭までさかんに歌われていた。「ディキシーに帰るんだ。もうさまようことも無い。昔の農場が懐かしい。あそこに戻ることは二度と無いと思っていた。けど時がこの老いぼれの頭を変えたんだ。心はディキシーにある。」
(1878年出版) J.T. ラトリッジ(John T. Rutledge, 生年月日不詳)作曲
「アラバマに死にに帰るんだよ。(I'm going back to Alabam' to die.)」
「あちらこちらをさまよったけれど、やっぱり自分の家はアラバマだ。綿の花が懐かしい、農場が懐かしい。ダーキーどもは俺が帰ってくるって知ってるんだろうか?」
(1903年出版) パーシー・ウェンリック (Percy Wenrich, 1887-1952) 作曲
「ミズーリの出身だというだけで (Just because I'm from Missouri)」
同じ黒人からも南部出身はからかわれた。
(1902年出版)ウィル・マリオン・クック (Will Marion Cook, 1869-1944, ドヴォルザークに師事した黒人作曲家) 作曲
「ダホメにて (In Dahomey)」 人気の黒人のミュージシャン達は楽譜の表紙にも登場した。1920年以前の黒人エンターテイナーとして絶大なる人気を誇った、バート・ウィリアムズ (Bert Williams, 1875-1922) とジョージ・ウォーカー (George Walker, 1873-1911)。
初期のブロードウェイで大ヒットしたミュージカルで、Dahomeyはアフリカにあったダホメ王国の事である。
奴隷輸出国として繁栄したが、1900年に消滅、現在のベナン共和国。
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